着物においての自分の価値基準はたくさん着て行くことで身についていく

雑談

ごきげんよう、普段着キモノスキーの椎名さん。です。

本日は「着物においての自分の価値基準はたくさん着て行くことで身についていく」というお話です。

100回目です

このブログ、この回を持ちまして100回でございます。
思ったよりも沢山の方に読んでいただいてありがたい限りでございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

改めて少しだけこのブログの紹介をさせていただくと
基本的にこのブログは
「知らないことが多過ぎて色々ビビっていた初心者キモノスキーの頃の私」
が知りたかったことを中心に書いています。

それは「初心者よ!これもあれも知っておけ!」という話ではなく
「知らなくても結構楽しめるよ☆大丈夫、大丈夫☆」
という意味合いで、
それこそ私が初心者キモノスキーの頃にかけて欲しかった言葉でもあります。

実際に数年間普段着着物ライフをしながら思うのは
普段着着物に「これぞ正解!」というものはなく
それぞれが好きに楽しめるものだよなぁ。。。ということです。
それはもう
なんであの頃あんなにビビっていたのかしら・・・?
と首を傾げるほどに(笑)

それでも100本書いてみて思うことは
初心者キモノスキーの頃の私ってこんなに色々不安だったんだなぁ・・・
こんなに色々知りたいことがあったんだなぁ・・・
そしてまだまだ書きたいことがあるし、
現在の私自身も知らないこといっぱいあるなぁ・・・
ということです。

→関連記事「着物が私に与えたものと、このブログを始めた理由」


大江戸骨董市に行きました


(その時購入した着物と羽織)

普段着着物ライフを始めて数年。
何人かの人に「着物教えてー!」と言ってもらうことがあります。

先日その中のひとりと一緒に大江戸骨董市に行きました。

大江戸骨董市とは
「有楽町・東京国際フォーラム」と
「原宿・代々木公園ケヤキ並木」で開催されている
日本最大規模のアウトドア骨董市です。
開催日は国際フォーラムが毎月第1・第3日曜日
代々木公園は不定期開催です。
(現在はオリンピックの都合でどちらも秋まで休止中)

その時の私は
「あ、これ可愛い。安い!」
「これは素敵だけどちょっとお高いかなぁ・・・」
「これは私の手持ちだとコーデしにくいかもしれない」
と惹かれたものを手に取りながら判断して
「欲しい!」
と強く思ったものを買っていきました。

対して一緒に行った友達は
「あのお店見たい!」
「これ可愛い!いくらだろう?」
と店員さんに聞いたりするものの中々購入に至りません。

悩むのも楽しいよねーなんて思いながら
友人に求められれば「こんなコーデできるよー」とか言っていたのですが、
サクサク買い物をしていく私を見て
「そんなにすぐ判断できるの凄いね!」
と言われてハッと思い出しました。

私自身、初心者キモノスキーの頃に1度同じ骨董市に足を運び
何ひとつお買い物できずにちょっと悲しくなりながら帰ったことを。

あの頃私は
サイズをどうやって見たらいいのかも分からず、
袷?単衣?それなぁに?という状態で、
自分自身がどんなものに惹かれるのかもハッキリしておらず、
ただただ、着物着てみたい。可愛い!という気持ちだけを持っていました。

そして骨董市だとお安く着物や帯が手に入るらしい。
という情報だけを手にドキドキしながら行ってみたのですよね。

今思い返して思うのはドキドキワクワクしながら、
それでも何も買えなかったのは
自分自身の価値基準を持っていなかったから。
だと思います。

自分自身の価値基準がないからこそ
何をどう見ればいいか分からず、気後れしてしまって
私なんかが・・・みたいな卑屈な気持になってしまっていたのです。

今、私が骨董市でも気後れせずお買い物できるようになったのは
自分自身の価値基準ができたからなのでは??と思います。

そして更に思うのは
「自分の価値基準なんて一朝一夕には生まれないなぁ」
ということです。

→関連記事「友だちが着物に興味を持ったなら~最初の1歩のすすめ方~」

あの時購入できなかった理由、今思っていること


(着物はじめた頃に買った銘仙の袷。ネオンみたいで気に入っています)

着物に限ったお話ではありませんが、
「自分の価値基準」は大事だと思っています。

誰かに勧められたから、ではなく「自分が好きだから」
で選ぶものは最高に楽しいですし、お迎えした物も大事にできます。

そして「自分が好きなもの」を選ぶには
選ぶための価値基準や判断基準が言語化できなかろうとも確かに必要なのです。

初心者キモノスキーの頃の私にはそれがありませんでした。

あの時持っていなかった基準は何か、
今はそれを持っているのか、
それはどうやって手に入れてどう考えているのか改めて考えてみました。

間違いたくなかった

普段着着物を始める前の私は
「着物・・・ルールが多そう。間違えたら怒られそう・・・」
と思っていましたし
「せっかく買ったのに合わなかった!みたいな失敗はご法度だ・・・」
とも思っていました。

だからこそ自分で判断して購入しなければならない骨董市では
何も選ぶことができず買えなかったのです。

でも今の私は知っています。

間違わないなんて無理だということを(笑)

そんなにビビっていたはずの過去の私の間違いで言うと
・「綿着物」と記載されているものを買って5月に着たけど
 よく見たら浴衣だった!
・黒の帯揚欲しいなぁと思って買ったら喪服用だった!
 (しかも後から分かった)
・気になった半襦袢を買ってみたけど使いにくかった!
など等・・・間違えたり失敗したりはよくあります。

もちろんその都度がっかりしますし、
無駄になってしまったお金を悔んだりもします。

けれど、その失敗なくしては
浴衣と綿着物の見分け方を知ることはできなかったでしょうし
喪服用と通常の黒の違いを知ることはなかったでしょうし
自分にとって使いやすい半襦袢を研究することもなかったでしょう。

今は大きな失敗をすることは減ってきましたし
失敗そのものもさほど恐れなくなっています。

それは色々失敗して、
何を調べたら、答えが出てくるのか
どういうことを自分は大事にしているのか
そういう方法や基準ができてきたからだと思っています。

そして多少間違えたところで
目くじら立てて怒られることはない、と知ったという点もあります。
むしろ優しく教えてもらえることの方が多いのです。

これは私が個人的に思っていることですが
着物に於いての「知識」は「ないと恥ずかしいこと」ではなく
「あるとより一層それを楽しめる」という類のものなのではないかなぁと思います。

それは季節の花のように
割く時期を知らなくっても「可愛い花」として愛でることはできるけれど
旬を知れば
「もうすぐあの花が咲くな☆楽しみだな☆」
とワクワクできる・・・というような
少しだけ彩を増やしてくれる、それが知識なのかなと思っています。

知識は本やネットで沢山得ることができます。
手の中にある最新機器(スマホ)は簡単にそれを教えてくれます。
それはとても楽しく有意義です。
けれど、それを「自分のもの」として体に落とし込むのは体感しかない。
と思うのです。

だからこそ「知識」は一朝一夕に得られるものでなく
何度も経験して会得していくものなのではないかなぁ
と今は思うのです。
とはいえ、初心者キモノスキーの頃には
早く知りたくて焦ったりもしたんですけどね(笑)

今、初心者キモノスキーの友だちには
「いっぱい着ているうちに自分基準ができてくるよー」
と添えてお話しています。

 

相場が分からなかったから


(帯は葉月さんで購入したリバーシブルちゃん)

骨董市でお買い物ができなかったふたつ目の理由は
相場が分からなかったから。

骨董市ではお安く着物が手に入るとは聞いていましたが
そもそもの基準になるお値段が分からないので
「それ、3000円ね」
と言われてもそれって高いの?安いの?!となってしまうのです。

特に骨董市ではサイズや状態が記載されているものはほとんどないので
サイズ感やシミなどの状態は自分で確認しなければなりません。
でも、どこを見ればいいのか見当もつきませんでした。

加えて自分がどれくらいの回数着物を着るのか
どれくらいハマることができるのかも自信がありませんから
これくらいの値段なら出してもいいよねー。
という判断が全くできないのです。

今なら「これはきっといっぱい着るだろうな☆」とか
「これはお安いけど修理が必要だから実質もっとお高いな・・・」と判断ができます。

何故なら自分の中にある程度の「相場観」ができているからです。

それはキモノ葉月さんをはじめ、いろんなお店に行って
色んな着物を見て、そのお値段を見て、
自分自身がその着物を繰り返し着てみて、
そうやってできてきた「相場観」です。

これは、初心者キモノスキーの頃に持ってるわけのないものだと今は分かります。
色んなものをたくさん見て
沢山着て「自分にとって着やすいもの」を知ることでしか
「自分仕様の相場観」はできてこないのですよね。

大事なのは「自分仕様」であることです。
例えば大金持ちのビルゲイツ(お金持ちの代表としてはこの人しか浮かばなかったw)と
私では出せる金額が当然違いますし
「これにお金を出したい!」と思う対象も違うでしょう。
自分にとって「それはいくらの価値があるか?」が大事なのです。

これも「私はこれくらい着るのでこれくらいの金額はOKです!」
なんて最初から分かる人は中々いないと思います。

→関連記事「キモノスキーの聖地(?!)初心者からベテランまで楽しめるキモノ葉月さん」

着こなせるか自信がなかった


(本来は似合わない色も工夫それば着れたりする)

可愛い!と思ったものが
必ずしも似合うとは限りません。。。
それは着物だけでなくお洋服でも起きることと思います。

個人的にはお洋服の「似合う幅」よりも
着物の「似合う幅」の方が広いと感じていますが、
それでも「これ、上手く着こなせないなぁ・・」というのは存在するものです。

実際に買ってみたけれどいまひとつしっくりこない・・・
という着物は存在します。
ネットで買った時などは手に取って確認できない分
特にそういうことが起こりやすいです。

けれど今は相場観をはじめ少しばかり見る目が養われているので
「こんなはずじゃなかった!」
という事態はほとんどありません。

また、多少「失敗したな・・・」と思うものも
「半衿をこんな色に変えればOKだな」とか
「洋ミックスならイケそうだな☆」
なんて工夫する手段も知っています。

それはつまり「似合わないもの」が減ってくるということです。

また、初心者キモノスキーの頃に怖かった
「着物そのものが似合わないかも知れない」
という気持ちについては
「着ているうちにしっくりと体に馴染んてくる」
と実感しています。

最初の頃は「着物に着られている」と感じていた着付も
回数を重ねてトライアンドエラーを繰り返しているうちに
なんとなく似合っていくものなんだぁと実感しています。

→関連記事「あなたはどのタイプ?着物とパーソナルカラーの関係と着こなしの工夫」

 

自分にとっての価値基準の養い方


(気に入ってるかどうかが大事☆)

総じて思うのは自分の価値基準は
初めからパーフェクトに兼ね備えていられるものではない。
ということです。

気になることを調べて
実際に手にしてみて
トライアンドエラーを繰り返して
自分で感じて
自分の気持ちを尊重して・・・

そうすることで養われていくものですし
その基準は自分の中でもどんどん変わっていったりもします。
去年はコレ苦手だったけど今は素敵だって思うなぁ☆
なんてものも結構出てきます。

判断の基準は人それぞれですし、
感じ方も人それぞれです。
誰かが「これ素晴らしい!!」
と言ったとしても自分がそう思わないのであれば
迎合しなくたっていいんです(と私は思っています)

ちなみに私はブログを書くにあたって
〇〇がおススメ!と書くときは
その理由も書くように心がけています。

理由が書いてあれば
「それは私にも合いそう!」とか
「これは私には合わなそうだな」
と判断する一助になると考えているからです。

自分の価値基準がひとつもなくて
骨董市で何もお買い物できなくて悲しかった私は
今は年間100回以上着物を着るキモノスキーになりました☆

それはがむしゃらに頑張ったから!!
ではなく、越えられる程度のゆるーいハードルだけを越えながら
楽しいとわくわくと積み重ねた結果です。

今だって「どうしたらいいの??」と思うことは多々あります。
それもきっとキモノスキー歴を積み重ねる過程で
「こうすればいいのか☆」が出てくるのだと思っています。

もし過去の私のように
「なにも選べない自分」にしょんぼりしていたり
「あの人が言ってるからこれが正解んだんだろうな・・・好きじゃないけど」
と思っていたり
「着物は興味あるけど難しいよ・・・」
と思っている人がいるならば言いたい。

大丈夫大丈夫。
自分自身の楽しいこそが正解よ。
簡単なとこを重ねていこ☆
と。

では、また次回。
じゃぃねー。

 

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました